気仙沼市立斎場

気仙沼市立斎場

気仙沼市斎場
気仙沼市大峠山1-27

気仙沼市立斎場


気仙沼市立斎場は、1979年(昭和54年)4月までは、
気仙沼駅の裏の方の滝の入2区の細い道の
最上部に在ったんだっけ。

余談だげんど、かん太が、子供の頃にイタズラして悪さをすると 親に「火葬場に連れでいぐぞぉ〜」と言われたもんだっけなぁ〜。^^;
今の、子供達は、どうだべが?
今は、「斎場に連れでいぐぞぉ〜」と言われでだべが?
「斎場」じゃぁ〜かん太的には、間が抜けて聞こっえげど・・・(笑)

ところで、あんだは、「斎場」という言葉が、
ここ20〜30年で使われるように なったってのを知ってぺが?
 ( ´,_ゝ`)

江戸時代後期には、「焼場(やきば)」。
近代に入って、
「焼場(やきば)」と「火葬場」が 併用されて現在に及ぶんだっけな。

「斎場」という新呼称を採用するようになった
地方自治体が多くなったのは、
「火葬場」が、 “死体を焼く”というニュアンスが強いがらだっけ。

ちなみに、平安時代以来,火葬場のことを
「三昧(さんまい)」 もしくは
「三昧場(さんまいば)」といってだんだっけ。
中世以降江戸時代後期までは、「荼毘所(だびしょ)」とも同義語の 「火屋」「火家」「龕屋(ひや)」などの呼称が普通となったんだ。
その中でも「火屋」という呼び方は関西に現在も残っているっけ。

さて、この気仙沼市立斎場だげんど、
あんだ!スゲ〜設備を有してんだっけ!! o(゚ロ゚

従来の火葬場のイメージを完全に一掃した
新しい建築空間と設備を有した火葬場を建設したのは、
神戸市の1974年(昭和49)3月に完工の
神戸市立鵯越(ひよどりごえ)斎場なんだげんど、
どうゆうわけが、1979年(昭和54年)5月に、 この気仙沼市に超近代的な気仙沼市立斎場が、 全国に先駆けて(神戸市除く)、建てられたんだっけ。  φ(・ω・ )

その後に、横浜市戸塚斎場,岡山県の倉敷市中央斎場, 京都市中央斎場,桐生市斎場などが、大都市・地方都市を問わず、 理想的な“新しい火葬場”として建てられたんだっけ。

気仙沼市でこの、気仙沼市立斎場が建てられる 前は、恐らく、旧斎場が、住宅地の上の方に有ったので、 火葬場周辺住民は、迷惑だど思ってたかもしんねぇ〜な。

そいずは、全国を見るど一般的に、 昭和30年代後半の高度経済成長期に入ったころがら 火葬場の操業は、コンクリート製の煙突からは黒煙が出る、 ばい煙・悪臭・騒音などの劣悪な環境のなかで行われ続け、 やがて公害問題が指摘されるようになった歴史があっからだ。

一方、会葬者は年を追って多くなるが、
駐車場や待合室も十分なスペースがない。
しかも往時は町はずれにあったけんども、
周辺の開発によって 住宅地の真っただ中になってしまい、
住民とのトラブルが起こる例も多くなってきたらしんだっけ。

まぁ〜この話は、
全国的な話で気仙沼市旧斎場については、オラわがんね。^^;

ほんで、更に詳しく書くと、
全国におよそ4,000もの火葬場が存在していんだっけ。
そのうち公営のものが過半数を占めていっけど、
民営といわれる火葬場もかなり存在しているんだべ。

公営の火葬場は市町村経営のものが大部分だげんども、
一部に幾つかの市町村が事務組合をつくって、
1カ所の火葬場を運営する形態をとっているものもあるっけ。

民営の火葬場には,旧集落が保有していた 簡易な火葬場が、
市町村に移管されず、
集落の長を代表者とする個人経営として
扱われている例も地方には多い。

一方、 大都市の火葬場で株式会社が
運営する例が幾つか見られるっけぞ。
とくに東京都の区部は、
都営の1カ所を除いて他の7カ所はすべて民営だっけ。

大阪市や横浜市にも民営の火葬場が若干みられっけ。

民営は、葬儀屋や病院や老人ホームに「営業」に行くんだベガ?(^-^;


さて、前置きが、長くなったげんども、
気仙沼市立斎場の説明を軽く スッペ!

まず、上の写真の道を登っていくと

下の6枚の写真の野球場が左手に見えてくっから そこを通り過ぎてチョイ行くと・・・・。

この看板を左折。

ホイ! 近代的な設備の気仙沼市立斎場に到着ぅ〜。

このように、広い駐車所と、ゆったりした気仙沼市立斎場内のスペースで、故人が、昇天するのを故人の思い出に華を咲かせて くつろいでまってでけらいん。
和室もあるので、足も伸ばしてくつろげっけ。
次に逝くのに近い方々(^^;)もリラックスできる設計だべ。

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